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プロフィール
1936年(昭和11年)北海道上磯郡知内村(現:知内町)出身の歌手。
サブちゃんの愛称で知られる。
1954年17歳で高校を中退後、東京の親族を頼って18歳で上京。渋谷を拠点に流しの仕事をしながらデビューを目指す。
1962年、「ブンガチャ節」という曲でデビューするが不発。
同年に発売されたセカンドシングル「なみだ船」がミリオンセラーとなり、第4回レコード大賞新人賞を受賞した。
「函館の女」「与作」「風雪ながれ旅」「まつり」などヒット曲多数。
北島三郎さんを取り上げた理由&印象的なシーン
先日、函館へ一泊二日で旅行にいってきたので、函館にゆかりのある昭和スターについて何か書きたいなと思っていた。
北島さんの母校が函館西高校であったことや、北島三郎記念館(2021年8月で閉館)
が函館にあったことで書いてみようと思った。
誰もが知る大歌手なので、自分のような者が北島さんについて紹介するのもおこがましいかもしれない。
なので、自分の印象に残っている北島さんについてまとめたいと思う。
・紅白歌合戦へ50回出場したレジェンド
物心ついたときにはすでに元号は昭和から平成へ変わっていたが、平成の紅白でも北島さんは存在感を放っていたように思う。
あまり演歌を知らなくても、「まつり」や「与作」など数曲は知っていたし、紅白の終盤で大量の紙吹雪のなかで歌う姿は凄く印象に残っている。
2013年に50回目の出場をもって紅白歌合戦からの勇退を宣言した。
・コロッケなどものまねする芸人がいて20代、30代にも知られている。
子供のころ、北島三郎といえば本人よりもものまねをみる機会の方が多くて、特にコロッケさんのものまねは顔の表情を大げさに似せていたり、変な動きをしたりしてとても面白かった。北島さん本人もコロッケのものまね芸を認めて『コロッケちゃんはものまねで食べてるんだから、どんどんやって。どんな形であれ宣伝してくれてるんだから』と言っていたとのことである。
北島三郎記念館について
2002年12月23日、函館西高校から、観光スポットとして有名な八幡坂を降りた麓に「北島三郎記念館」をオープンした。
3フロア構成となっており、1階がエントランスおよびグッズ販売スペース(グッズショップ)、2階には出生から現在にいたるまでの北島さんの半生とディスコグラフィ(2013年7月現在、全232曲のジャケットを展示)を歴史別に綴った「ヒストリー・ゾーン」、3階には北島さんの代表曲のひとつである「まつり」の特別公演のフィナーレの臨場感を可能な限り機械で再現する「シアター・ゾーン」と等身大の北島さんのブロンズ像を設置。北島さんの魅力をあますところなく満喫できる構成となっている。
タレント大泉洋さんが、北海道のローカル局HTBの「ハナタレナックス」という番組で北島三郎記念館を訪れており、函館のお気に入りの場所で何度も行っているとのことだった。
残念ながら2021年8月で閉館してしまったが、バーチャル記念館として復活、PCやスマホで見ることが出来る。
また、北島さんの曲はサブスクでも聴くことが出来るので、改めて聴いてみたいと思う。
参考HP
コロッケ、北島三郎から「ものまねどんどんやって」と言われ安堵 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] (smart-flash.jp)
ハナタレナックス 「北海道の笑顔プロジェクト」 - 大泉洋in函館市 (htb.co.jp)
20年で激減…紅白歌合戦で演歌勢の縮小続く 北島三郎「50回出場で勇退」も影響か|NEWSポストセブン (news-postseven.com)